当事務所は、医療事件の医療機関側代理人としての案件が多いのですが、先日、針刺事故についての裁判が解決いたしました。
内容はここでは伏せさせていただきますが、事件処理にあたり参考にした裁判例を以下、紹介いたします。

事例①顛末
東京都目黒区P保健センターが実施した健康診査において,医師が行った血液検査のための採血後,患者に採血部位の変色,痛み,痺れ,腫れ等が生じ,左内側前腕皮神経及びこれと左尺骨神経との交通枝が損傷され,左上肢にカウザルギーを発症したとして,健診を実施した保健センターを開設する自治体に対し損害賠償請求訴訟が起こされました。
 採血の状況は、患者は採血台を挟んで医師に正対して座り、医師は真空採血管を用いて患者の左肘正中皮静脈から採血を実施しました。採血中、医師は針の位置を変更することなく、また患者は痛みを訴えることなく、採血は3本の真空管に採取されて終了しました。
 採血終了後、止血の上、患者はしばらくして保健センターを退出しました。退出までの間、患者から医師、看護師らに対して痛みの申し出などはありませんでしたが、数時間後に電話で保健センターに左腕の痛み、腫れ、変色などを訴えました。

今回の争点
① 医師が左上肢橈側から左肘正中皮静脈に対し垂直に採血針を刺入し正中皮静脈を貫通したか (このような採血方法は一般的には考え難いのですが、患者側からこのような主張がなされたので、裁判では争点となりました。)。
② (仮に垂直に刺入しなかったとしても)医師が注射針を深く刺入しすぎたことにより,左肘正中皮静脈を貫通し,左内側前腕皮神経およびこれと左尺骨神経との交通枝を損傷した義務違反があったか。

判決編
判決(東京地方裁判所平成19年4月9日判決)
 結論:請求棄却、原告の訴えはすべて退けられました。
 理由:争点①について
斜めに走向している肘正中皮静脈に対し橈側から尺側に向けて垂直に針を刺入することは困難と考えられること、真横から採血針を刺入させると3本の真空管全てに採血を行うことは難しいと考えられるが、本件では3本の真空管に血液が採取されていること、などの点から,医師は腕の橈側から左肘正中皮静脈の走行に対し垂直に採血針を刺入したとはいえない。
争点②について
肘正中皮静脈は採血にはよい血管と考えられていること、解剖学的に肘正中皮静脈の周辺には内側前腕皮神経が走向しており,肘正中皮静脈の皮膚側を走向している場合もあること,採血時の神経損傷の頻度は6300分の1となると指摘されていること,前腕に分布する皮神経の走向は体表からは判断が困難であることなどが指摘されている。これらのことから,仮に神経損傷が生じたとしても医師に採血手技上の義務違反があったとはいえない。

医療従事者として知っておくべきポイント
① 本判決では医療機関が免責されましたが、針刺し事故で損害賠償を求める医療訴訟において,常に神経損傷は不可避であると裁判所に判断されるわけではありません。本件と同様に肘正中皮静脈部分に穿刺したとして、例えば同部位の深部を走行する正中神経を損傷してしまった場合などは、有責と判断される可能性が高いです。
その意味で、医師および看護師は,血管・神経の解剖学的位置関係について十分な知識を有することが求められます。
② 採血などの際の注射針刺入により神経損傷を生じた場合,刺入時に患者が電激痛を訴えることが多いです。そのような場合には,後日の紛争に備え,注射実施者は誰か,選択した血管,刺入部位,刺入の方向・角度,刺入動作に不自然な点がなかったかなどの状況を,診療録・看護記録等に記録すべきでしょう。

 
 
 
 
以上、大阪の弁護士北畑瑞穂のブログでした。
みずほ法律事務所